• 安倍大智

鬼滅のタイトルロゴのヒドさについて本気出して考えてみた

こんにちは、お世話になります。

もうすぐオリンピック!ということで、『鬼滅の刃』の話です。

そこが本題ではないのでまず最初にこの作品が好きだという思いを最弱の語彙力で評すことをお許しください。


この作品、控えめに言ってめっっっちゃ面白いし、アニメはアニメならではの演出に富んだ最高の名作だとみんなに言いたいです。



でもそのうえで、

この作品のタイトルロゴ(ロゴタイプ)はというと、コミックスが出始めた当初、私は全然受け入れられず、直視できないというか目を背けたくなるようなというか、ぐちゃぐちゃでこんなものをよく世に出したなと思っておりました。

今になって改めて見ると、本当に身の毛もよだつ、あべの神経を逆撫でするデザインになっております。

あくまで「あべの」ですが。

数年後日本中でこんなに大騒ぎになることがわかっていたらもっと整ったデザインにしたのではないかとすら思います。(あとでこれ覆ります)

国民的な作品のタイトルロゴをこき下ろすようなことを言ってみんなに嫌われたくないので、というかそういう話がしたいわけではないので、お願いです続きを読んでください。

私の感性が正しいというつもりはありませんが、10年以上グラフィックデザインに携わってきた私がみてひどいと感じるデザインではあります。

そしてこれからするのは、だからなんだ?それがどうした?という話です。

このデザインで、この作品は売れてるんです。

ありえんほどの人気で日本中を虜にしとるのです。

広告ベースのグラフィックデザインの評価においてこれほどのパワーはありません。

どうあがいてもここ数年どころか漫画史上最強の実績を持つ作品が『鬼滅の刃』であり、その作品と同行しているのはこのロゴタイプなのです。





何がそんなに嫌なの

一応(私にとって)何が耐え難いかを書いておきます。

・明朝体とゴシック体、それぞれの中でも太さ、大きさを様々織り交ぜているのは他でもたまに見ますが、非常に手の込んだ仕方で、目が狂ったのかと思うようなアンバランスな配置に仕上げている。背中が痒くなるようなバランス感覚。

・最も目立つ位置にある鬼の字の「田」部分の、全く同じサイズ・形の四つの四角形は死ぬほど中途半端な角丸に仕上げあられ、その外側、「田」の字の外側の輪郭はパキッとした直角。直角の内側が角丸。悪寒がする。この部分は明朝体なのか、ゴシック体なのかわからないというか、長方形である。ベーシックな図形である限り、その図形どうしの隙間にあたる「田」の十字の部分は均等であって欲しい。頭の硬い整頓厨デザイナーで申し訳ない。

・「鬼」の字の左払いは明朝体を使用。全体のバランスを崩すために異様に左下に向かって伸びる。伸ばし方が鬼。それも、細い印象のまま伸ばしたいので元の形のプロポーション(縦横比)をガン無視して欲しいとこまで伸ばしただけなのが丸出しで、払いの始点から先端までの中間部分がブザマに太くみえる。この部分は左払いのタメの部分で大方のフォントフェイスでも実際太くなっている場合が多いがそれを無理矢理変形させることにより絶妙な太さの変化がイビツなエラーとして表出してしまうのはイラレいじってればいやでもわかってくること。

....

こんなに言えると思いませんでした。

お願いだから怒らないで続きを読んで下さい。



「作り手の目とオーディエンスの目を往復する」能力

10年、グラフィックデザインをしていると、何が綺麗なのか、何が整っているのか、何が違和感で、それをなくすにはどうすればいいのか、そういうことをずっとやります。

そして、『鬼滅の刃』のこのロゴタイプにそれを全部否定されます。

そして、それはめちゃめちゃ売れました。

一流デザイナー/クリエイティブディレクターに必要な能力の一つは「作り手の目とオーディエンスの目を往復する」能力だと思います。

同業者・評論家から見て上質であることと、ユーザー・消費者にとって魅力的であることを高いレベルで両立すること。

このロゴタイプをみて、それを体得するまでの道のりの険しさを痛感します。

正直、その能力は私にはまだまだ足りていないということです。

その二つの視点を1人で操れるデザイナーは、めったにいない。

だからデザイナーはチームを作るのです。



ただ綺麗なものになってはいないか

あくまで予想ですが、このロゴタイプはほぼ、原作者・吾峠呼世晴氏によるもので、デザイナーが少し手を加えたものではないでしょうか。

そう仮定して、原作者とデザイナーがいる場合で考えてみたい。

漫画家が持つグラフィックのパワー作品との関連性本編との感性面での合致。これは(普通の)デザイナーでは手を出せない部分です。

ではこの場合デザイナーは何をするのか。

漫画家のデザインを「使い物になるようにする」ことです。

印刷した時に美しくなるようにする。

いくらなんでも読めなきゃ意味がないので視認性を確保する。

画像や黒い背景の上に置いても機能するように袋にする。

魅力的な配色を考える。

原作者の意図を汲み、それを増幅する手法があればそれを駆使して強度を増す。

通常(というか私なら)、その過程で左払いは自然にしちゃうし、「の」の明朝/ゴシックのミックスももっとスムースにしちゃうし、「滅」のさんずいはもっと間隔を狭めちゃいたくなります。

それをやっちゃっていたら売れなくなったかというとそうでもないような気はしますが(その感覚が未熟?)、そういったことを「やるか、やらないか」の判断が、さっき言った「作り手とオーディエンス二つの視点を往復すること」だと思います。

数年後大騒ぎになると知っていたとしても、この状態を完成とする「判断」。

なにをやって、なにをやらないのか。

なにをやると作品をよく表せて、なにやると作品から離れていくのか。

ただ綺麗なものになってはいないか。

実は内容をめっちゃ表してる

この死ぬほどアンバランスで細部に重度の稚拙さが宿るデザインは、今思えば、作品の内容を色濃く、色濃く、反映していると思います。

原作の絵が下手と言われていることもまあその一つですが、

・少年が怒りに染まりつつも優しい目で世界を眼差すこと

・暴力と正義の関係

・少年の妹に象徴される鬼という存在のアンビバレンツさ

・善悪の呵責、怒るべきか、泣くべきか、許すべきか、断つべきか

・あらぬトーンとテンポで吐露され続ける登場人物の感情

・時代設定と技術とキャラデザのカオスさ

などなど...

この作品はアンバランスとイビツさと激しい感情の起伏で満ちておりませんか?

そう思ってロゴタイプに立ち戻れば、このロゴタイプにどれだけの試行錯誤があったか、また原作者のおもいがどれほど詰まっているか、少し想像がつくような気がします。

すごい科学者も同じだった

さっきの2つの視点を往復するって話、最初にそれを思ったのは素晴らしいデザイナーの仕事に触れた時ではなく、素晴らしい科学者に出会った時でした。

Kavli IPMUという東京大学の宇宙研究をしている組織の初代機構長であり私と同じ高校に通った村山斉(むらやま・ひとし)先生は、世界基準でもトップ中のトップの物理学者として日々ハイレベルな研究者たちと研究を進めながら、小学生に宇宙の面白さを超楽しい方法で伝え、聞いた者みんなを宇宙物理の虜にしてしまいます。

トップ研究者の知識レベルと小学生の知識レベルを往復できるその能力に感銘を受けたのをよく覚えています。

どんな分野でも1つの知見に絡め取られて凝り固まらずに、色々な視点から物事を評価できることが大切だと、『鬼滅の刃』のロゴタイプを見て改めて思う安倍でした。

お疲れ様でした。

新中野製作所

安倍大智

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